どうも、UVERブロガーのわたなべです。
自己嫌悪に陥りました。好きだった人の名前を忘れました。
3年ほど前に、死ぬほど好きだった人の名前を30秒位思い出せませんでした。
そう言えば、こういうあだ名やったな〜。
てことは、こんな名字やったな、
「あ〜そう言えば」
当時は、起き上がれないくらい辛いと思っていたのに、今や名前すら思い出すのに時間がかかってしまったとき、この曲の歌詞を思い出しました。
あの子と付き合っていた頃の思いでも 何一つ覚えてない
そもそもどこに惚れてたかも もう記憶に無いし
心ないわけじゃないけど 便利な機能に寄りかかってる
出典:UVERworld Forget
UVERworldのForgetです。
今回は僕の体験と踏まえて、UVERworldのForgetの歌詞について解釈していこうと思います。
Forgetの歌詞の意味を解釈してみた
いつか受け入れられるようにと 僕たちに備えられた忘れるという昨日
立てないくらい辛い出来事は 引き出しにはしまえずに
忘れなきゃ生きてもいけない 悲しい 万物霊長
この曲ってそのタイトルの通り、『Forget』・・忘れる という意味です。
ホトンドの辛いことも1ヶ月〜2ヶ月、長くても半年くらいしたら忘れます。大体のことは忘れてくれますし、他に打ち込むことを見つけたりすると、もっと早く忘れられます。
辛い時は、早く忘れたくて仕方がないと思っているんですよ。でも、実際に忘れてしまうと、なんだか寂しい気持ちがしますよね。この曲はそういう感情を歌にした曲です。
似たような内容で徒然草にこんな節があります。
風も吹きあへずうつろふ、人の心の花に、馴れにし年月を思へば、あはれと聞きし言の葉ごとに忘れぬものから、我が世の外になりゆくならひこそ、亡き人の別れよりもまさりてかなしきものなれ。
徒然草26段
これの現代語訳はこう
風も吹き荒れていないのに散ってゆく花のように、移り変わってゆく人の心、過去に親しんだ月日のことを思うと、しみじみと感動して聞いた一つ一つの言葉が忘れられない。そんな大切な言葉を少しずつ忘れ去っていっていることは、亡くなった人との別れよりも悲しいものである。
多分、3年前に好きだった人のことで心を痛めることももうないでしょう。そして、会うことも無いかもしれません(多分無い)
あの当時、死ぬほど好きでも3年でこの通り。全く記憶から排除されかけている。
時間は追いかけるときに長く、追い抜くと早い
人生は長いし、短いです。
人生が長いと思うときは、その時を待っているときだと思うんです。
例えば、僕が成人式を迎えて20歳になったときって、自分が四捨五入したら30歳になる日が来るなんて想像もしてませんでした。
でも、今年で僕は25歳。四捨五入したら30歳。
嘘だろ!!
って思います。
25歳が自分より未来にあるときは長いな〜って思うけど、25歳が自分より後ろになった瞬間人生は短く感じます。
UVERのライブだってそう。さいたまスーパーアリーナの男祭りは覚えていますか?あれって公演の1年前から募集が遭ったじゃないですか。
まだかな〜まだかな〜って待ち望んでいましたよね。
「まだまだ1年あるや〜ん!」
「半年ってもう待てへんで!!」
なかなか来ないさいたまスーパーアリーナ。
でも、あんだけ待ち望んで、まだかな〜って思ったライブが、もはや1年前の出来事ですよ。
もはや時間の移ろいに恐怖すら感じます。
関連記事「なんでスパルタのMCは時間の短さを説いているんだろう?」(マダ書いてません)
時間を巻きもどす方法

このForgetって最初に聞いたときはたしか高校生だった気がします。AwakEVEが2009年ですから、高校生くらい。
発売当時は、UVERworldに対しては、「あ〜儚くも永久のカナシは聞いたよ!」位のレベルでした。高校生の時に、友達に儚くも永久のカナシをCDで聞きたいから借りたAwakEVEに入っていた曲がこのForgetでした。
正直、その当時、全く刺さりませんでしたね(笑)
多分すぐに早送りするか前の曲を聞いていた気がします。
BUGRIGHTを最初に聞いた時に、SHAMROCKを聞きたいからHOME微熱39度をあんまり聞かずに巻き戻すあの感覚です(笑)
当時、そんなに記憶をなくすほど、記憶がなかったのかもしれないし、辛いこともあったけど高校生活でいっぱいいっぱいだった気がします。
でも、このForgetを久しぶりに聞くと、当時の高校生活とか、自分が好きだった人の事とかが結構鮮明に蘇ってきます。
過去と現在を音楽によって繋いで、今を生きることを死ぬ気で考えて、更にまた未来で同じ曲を聞いて、、、不定期でもUVERを聞いて僕はタイムトラベルをすることが出来ています。
曲は再び聞くと、また全然違う曲になっていることがあります。ほとんど日常生活では思い出すことのないようなものも、曲を聞くと思い出される。
そんな体験をして、色んな体験をしたうえで久しぶりに聞いたら、曲がぜんぜん違う曲になっていることもよくあります。
コラム:なんで『万物霊長』って言葉を使っているのか?
Forgetには、
立てないくらい辛い出来事は、引き出しにはしまえずに、
忘れなきゃ生きてもいけない悲しい、万物霊長
って部分がありますよね。ふと思ったんですが、なんで『人間』ではダメだったんでしょうか?
なぜ、ここを万物霊長という、もはや日常会話では、死ぬまでに1度も使わないような言葉を使っているんでしょうか?
万物霊長という言葉を調べてみました。
万物霊長とは?
万物の中で最もすぐれているもの。すなわち人間。人類。
出典:コトバンク
もちろん、メロディとの兼ね合いがあるとは思うんですよ。「ばんぶつれいちょう!」っていう音の響きが必要だったのかもしれません。「にんげん!」ではゴロが合わないですしね。
この言葉には、TAKUYA∞の皮肉がこめられているんじゃないかな〜って思うんですよ。
本当に好きになった人の記憶も失われていくし、惚れた理由さえも忘れていくし、
そんな人間が「万物で最も優れている?こっけいなこった。」
って思っているんじゃないかって思いました。別にそんなご大層な身分でも無いでしょ!人間なんて!
っていうアイロニーを若干感じます。その証拠に
忘れなきゃ生きてもいけない悲しい、万物霊長
この”も”と”悲しい”ということばが凄く、皮肉へのタメのように見えるんです。
古文とか漢文で言うところの反語だと思うんです。
「へ〜そりゃあ良うござんしたね〜」って言う人居るけどあんな感じ。そもそも良かったね!って思って無くて、逆の意味を伝えたいって言う状況。
「そんな大切なものを忘れなきゃ前に進めないような、万物で最も優れた人類(笑)」
この万物霊長というワードを使うことは、反語で『どこが優れてんねん!』って意味が忍ばしてあると思うんですよね。
人間なんて大したもんじゃないんだから!
思い出じゃ生きていけないし 僕らにも限りはあるし
それでいいんだよ これでいいんだよな 刹那に生きる万物霊長
こう、言い聞かせているんだと思うんです。
これを聞いて、TAKUYA∞でも道に迷うし、つまづくし、悲しい気持ちになるんだ!って心が楽になります。生きるのも楽になります。
別に人間って大したもんじゃないですよね。見え張って、威張り合って、しょうもないことに意地張って、生きがいとか考える。
でも、僕たち人間って所詮、親の中◯しの動かぬ証拠なだけだと思うんですよ。立派でもなんでもねえな!って思えてきたんですよ。
生まれてきた意味!とか生きがいとか、そんなこと考えて鬱になっているよりも、毎日一生懸命生きてれば良い気がするんですよね。
生きてきた理由。それは親が中◯ししただけ!そんなもん!
なんか、どれだけ辛いことが起きても、
「まあどうせ俺、中◯しの結果に過ぎねえからな〜」
って思えば楽になる気がします。
この曲には、「悲しいことは忘れて乗り越えていこう!」って事以外にも、別に人間なんて大層なもんじゃないんだし、悲しいことも色々アルけど、気にせず行こうぜ!って言うメッセージが含まれているのではないかな〜って思いました。
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ちなみに、不定期ですがオフ会もやっています。150人を突破しました!!